ミカド珈琲について

社名「ミカド」の由来は『世界に通用する味をつくる』という志

1948年に創業者金坂景助が東京・日本橋に開業した際に彼は舶来品であり、まだ一般庶民にとっては高くて口に入りづらかった「コーヒー」を先見の明を持って「将来は諸外国並みに気軽に飲める時代がくる」と予測していました。

「コーヒー豆は外国から入ってくるが、その生豆のコーヒーを焙煎して、実際に飲めるように手がけるのは日本人。そして日本人が焼いたコーヒー豆を、日本人が飲む」。金坂は、外国の飲み方、味をそのまま提供するのではなく、日本人の味覚にあったコーヒーの味、飲み方があるのではないかという考えにたどり着きました。

社名を考える際に「日本人が作るコーヒーが世界に通用する味を作る会社」という志のもと、かつて彼が見たオペラより着想し「MIKADO(ミカド)コーヒー」となりました。


時代を超えて守り続ける上質な「酸味」

近年、焙煎が深く、苦味が突出したコーヒーにミルクを入れて飲むスタイルが流行していますが、ミカド珈琲ではコーヒー豆のもつ「苦味」「渋味」「甘み」など、色々な味覚のバランスが重要であると考え、その中でも特に「酸味」をとても大切にしています。

「酸味」というと苦手とおっしゃられる方が多いかと思いますが、この「酸味」によって他の味覚がひきたち、コーヒー本来の味を楽しめるものだと確信しているからです。

ミカド珈琲がいつの時代にも自分たちの味にこだわり、流されずに守ってきたコーヒーをより多くの方たちに味わっていただきたいと思っています。


戦争の傷跡が残る中で開業

まだ戦争の傷跡が色濃く残る1948年(昭和23年)にミカド珈琲は東京日本橋からスタートしました。1910年(明治43年)生まれの金坂は、銀座にあった輸入商社に勤めていた関係で、当時一般的に広まってはいなかったコーヒーと出会いました。

仕入れてきたコーヒー豆をドラム缶で炒ってコーヒーを造り始めたところ注目を集め、当時この作業は大変珍しく見物客が群がったそうです。この力のいる焙煎作業には金坂景助の姉の2人も加わって手伝い、手でかき回すために、指が曲がってしまったなど当時の躍動感が伝わるエピソードもあります。


スタンドコーヒーの元祖 当時の半額で販売

1948年(昭和23年)当時コーヒーは1カップ60円位であり、庶民には高価な飲み物でした。コーヒー愛好家の中心は皇族、華族、外交官、文化人などごく一部の人たちのものでしたが美味しく広く飲んで欲しいとの金坂の思いからミカド珈琲では立ち飲み方式を開始します。

立ち飲みにすることでコストを抑え、より多くのお客様にお届けできると考えたのです。


次のステップへ…

創業70余年の歴史とともに、老舗としての伝統を守りつつ、若い世代にもミカドの味を伝えていきたいと考えています。

最近では、他企業とタイアップしてチルドコーヒーを商品化したり、コンビニエンスストアとコラボレーション企画するなど、新しい事業にも取り組み展開しています。おいしい本物のコーヒーを追い求めて半世紀超。お客様とともにミカドコーヒーは歩み続けていきます。


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